様々なスピリチュアル系の「怪しさ」をアセスメントする個人的な基準
今日のお話はちょっと難しいかもしれないけど、私はとても大事に思っていることです。
巷には様々なスピリチュアルサービスが溢れています。
私も色々体験をしたことは最初のブログで書きました。
そんな中、いつも疑問がありました。
「これは怪しい?」「怪しくない?」
「本物?」「偽物?」
「何かそんな気もするけど・・・」
自分の中でスピリチュアルに対する判断基準が無いことはもどかしいことでした。
みなさん、どうですか?
同じように思ってる方がいたら、ぜひ続きを読んでね。
エーテル塾では、スタート時にエネルギーの階層構造の話と、自分たちはどの階層のどこをやっていくのか、という明確な提示があり、とてもスッキリしたのを今でも覚えています。
多くの人は、二元的に考えています。
現実の世界=信用できる
エネルギーの世界=よくわからない、怪しい
でもエネルギーの世界にも階層があること。
その周波数帯を切り分けていくこと、そしてそこで体感として感じていくことが大事。
ざっくりそのようなことを伝えられました。
その説明は私には明快でした。
もちろん果てしなく広がるエネルギーの世界が体感で捉えきれるはずもなく、それも全体のほんの一部なのですが、目に見えない世界を扱う中で、自分がどこにいて何をやっているかわかることは私には大事でした。
ということで、階層についてです。
これは神智学で用いられている7つの階層です(上の階層は省略してます)。
と書くと、「由紀さんのクラスは神智学に基づいているのですか?」
「由紀さんのクラスはシュタイナーがベースですか?」
と言いたくなる方がいるかもしれませんが、そういう訳ではありません。
この階層構造の表が説明しやすいので使われているようです。
私がこの説明をするのも僭越なのですが、
私たちは主に薄黄色の周波数帯域のエネルギーで日々過ごしています(人によっては違うかも)。
一番重いのが物質階層。誰もがわかる肉体、そしてエーテル体が含まれます。
エーテル体は肉体に一番近い周波数のエネルギー体。感覚。ちなみに植物のエネルギーはエーテルです。
そしてその次がアストラル体。これは自己感情、想念の世界です。
そしてメンタル体。思考体です。
この上にコーザル体があります。ここに魂がある訳です。
上の階層に行くほど、粒子は細かく軽くなります。
そう、そしてインテグラル理論をご存知の方。
ケン・ウィルバーは人のエネルギーを
「グロス(肉体)エネルギー」
「サトルエネルギー」
「コーザルエネルギー」に分けています。
これに関しては私は、
「ウィルバーさん、なんでサトルにまとめちゃったの?」
という気持ちです。
だってサトルに含まれるエーテル・アストラル・メンタルは全然違うから。
私たちはこのサトルエネルギー(エーテル・アストラル・メンタル)のエネルギーを統制をとり、切り分けていくことをしています。
中でも重視されているのがエーテル体です。
なぜかというと、エーテル体はエネルギーのインフラ。
個人においても、体内そして身体からはみ出して、エーテルが網の目のように張り巡らされています。
そして、どんな周波数のエネルギーもそのエーテルのラインに乗って運ばれます。
ですから、エーテル体がそもそも滞りだらけであったり、精緻なものでなければ、
いくら高い階層のエネルギーを流そうと思っても不可能なのです。
現代においては人々はアストラル(自己感情、想念)優勢の世界に生きていて、多くのスピリチュアルもアストラルの領域を出ないものが多いです。
アストラル領域でのヒーリングは、ヒーラーの想念が作り上げたものになる可能性があります。
想念の世界は果てしなく、そしてパワーがある人であるほど、その世界に皆を巻き込むことは可能なのでしょう。怖いですね。
そして、アストラル体でやってるヒーリングではアストラルの域を出ず、高次のエネルギーとは繋がれないのです。
だから私は色んなスピリチュアルなものを判断するとき、明らかにアストラルの領域内に留まっているものは手を出しません。
そして、意外と「肉体を扱ってます」というボディワーカーの方が、
しっかりエーテルエネルギーを動かしてるのかもしれない、とも思います(きっと施術者によるんでしょうけどね)。
こんな偉そうなことを言いながらも、私もまだ探求を始めたばかりのひよっこです。
でも、身体に下りたところでのエーテルの体感は少しずつ感じています。
そして、精緻な滞りないエーテル体を育てるために、私たちは「刀禅」というボディワークで日々鍛錬しています。
これもまた、果てしない道の世界です。
もう一つ、由紀さんの元で取り組もうと決めた理由があります。
それは、「各々が自分の本質をつながる」ことが目標であり、ヒーラーとしてのライセンスが発行される訳でもないし、由紀さんを師匠とあがめることも求められません。
ただただ、自分と向き合うことが求められます。
そして由紀さんもその道を進んでいるという意味では同じなのです。
先を行く人というイメージです(だいぶ恐れ多いが)。
以前、あるところで学んでいて、師に「依存的」になっている自分に気づいたことがありました。その師自身がそういう声掛けを私にしてたことにも、後から気づきました。
そしてそこから離れようと決意した時、結構な怖さや苦しさがありました。
これは苦い経験です。この点は常に自分に対するチェックが必要だと思っています。
こんなことを思いながらエーテル塾をスタートしたなあと、懐かしく思い出します。
皆さんのちょっとは参考になったかな。